おしくらごう

現在のおしくらごう

海へ漕ぎ出していた頃
 玉江浦では、船競漕のことを「おしくらごう」とか「おしくらご」と呼びます。これは毎年6月の通称弁天祭りの際に行われている、木造和船の競漕です。
 和船競漕は、何人かが乗り込んだ船を、艪や櫂を使って一定の距離を漕ぎ、その速さを競うものです。玉江浦の場合、かつては四つの青年宿を象徴する四艘の和船に、それぞれの青年宿の代表らが乗り組み、海上を一時間近くも競漕しました。船競漕は、玉江浦の他に、見島や越ヶ浜、大島などの漁村でも見られましたが、玉江浦の船競漕はそれらの中でも、特に親しまれてきました。
 しかし残念ながら、漁業人口の減少や高齢化によって、青年宿そのものが機能しなくなり、1995年からは玉江浦1区、2区、そして倉江の三町内を代表する三艘の和船に、漁業就労者以外の人の参加を得て、橋本川の常盤橋と玉江橋の間を往復するコースに改められました。
 玉江浦のおしくらごうが、いつ頃、どういう理由で始まったかは不明です。最古の記録は、1782年から翌年にかけて金谷天満宮が建替えられた時の記録「金谷天満宮造営日記」に、建替えの5〜6年前から、玉江厳島神社の祭りでおしくらごうをするようになったという意味の記述があるそうです。この記述から、おしくらごうは1780年頃にはすでに行われていたことが分かります。
 おしくらごうは、七人が乗り組み、艪が五丁、櫂が二本用いられます。かつてこれらの乗組員は青年宿の中から選ばれました。選抜にあたっては、あらゆることで他の規範となるような者という条件が付けられました。大勢の中からおしくらごうの乗組員として選ばれることは、一人前の漁業者として皆に認められることでもあり、大変名誉なこととされていました。青年宿の若者らは、おしくらごうの乗組員に選ばれるよう、日々努力を重ねたと言われています。
山口県漁業協同組合玉江浦支店
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