成り立ち
玉江浦から臨んだ、萩城運河方向、手前は橋本川。(マウスを合わせると拡大)
 玉江浦は萩の三角州を形成した阿武川の最下流、橋本川の河口西側に位置し、漁業を主な生業としています。古くは玉井と呼ばれ、1588年の記録に玉井という地名が登場します。毛利氏が萩に築城する以前から、すでに集落として存在していました。
 萩城築城以前は、現在の城山である指月山は潮が満ちると歩いて渡ることが出来ませんでした。
橋本川は指月山の東側(現在の萩城運河方向)を流れており、築城(1604年着工)の際、指月山周辺の埋め立てや河口の付け替えという大規模な土木工事を行い、現在のような姿になりました。
 玉江浦の漁港は、橋本川内にあり、川港と呼ばれる類の漁港です。橋本川河口は、北西に面しており、冬の季節風が吹く時期は、出入りがとても難しくなります。また、土砂の堆積も多く、中型の漁船では出入りが困難な場合もしばしば起きます。そのため、漁が休みのときでも、他の港に船を係留して自宅に帰る漁師も少なくありません。
山口県漁業協同組合玉江浦支店
山口県萩市大字山田5153番地
TEL 0838-25-1493/ FAX 0838-25-1956
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