玉江浦の名
玉江御茶屋跡からの眺め。クリックで拡大。
 三代萩藩主の毛利吉就が萩八景を定めたとき、玉井から玉江に改められました。萩八景とは、萩城下まわりの景色の良い場所を8ヶ所選び、その景観を保護する目的で定められました。西から三角州周囲反時計周りに順に、倉江、玉江、桜江、小松江、上津江、中津江、下津江、鶴江。また、それぞれその景観を特徴づける言葉が添えられ、「倉江帰帆」「玉江秋月」「桜江暮雪」「小松江晩鐘」「上津江晴嵐」「中津江夜雨」「下津江落雁」「鶴江夕照」と呼ばれました。
玉江御茶屋が記された古図面。クリックで拡大。
 四代萩藩主毛利吉広は1698年に玉江浦の高台に「玉江御茶屋」と呼ばれる別荘を設け、深野の渡しと呼ばれた玉江浦と萩城三の丸を結ぶ渡し舟を利用し、別荘へ通っていたと言われています。
 玉江御茶屋跡に建つ民家の屋根には、毛利氏の家紋である「一に三星」の入った棟瓦があります。庭の後、茶の湯の井戸なども現存します。御本屋の正門となる長屋門は、山陰線の鉄道敷設に伴い、取り壊されてしまいました。
山口県漁業協同組合玉江浦支店
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